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MIMOZA note

八丈島を拠点に暮らす。手芸と旅行と子育てと。働き方。暮らし方。身体のこと。

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アルファベットが書けない、草かんむりの概念がない高校生

※この文では便宜上適切な表現とはいえない言葉も使っています。「レベル」「底辺校」「貧困家庭」など、一概にこうと決めつけられないことは重々承知しています。違和感がありながらも、あくまで便宜上使っています。

 

 

 

私が勤めていた高校は、都立高校の中では中程度の学力の高校でした。それでも、進学校出身の私は驚いた。え、この程度のことができないの?中学生?と思うことがいっぱいありました。

 

 

 

ノートの取り方すら指定してほしがる生徒たち

最初に驚いたことは、ノートの取り方です。一応こちらとしては、丸写しすればそれなりの体裁になるように板書はしますが、それぞれが好きなように取れば良いと思っていました。メモも随時取れば良いし、自分で調べたことを書いても良い。プリント類も必要ならば貼れば良い。

 


ところが、ある項目のタイトルを書いた瞬間、「それはノートのどこに書けば良いですか?」という質問が飛んできました。「赤い字は赤ペンじゃないとダメ?」「行はここで変えなきゃダメ?」「このプリントは貼るの?」「ルーズリーフかノートかどっち?」と事細かに指示を求めるのです。「自分で使うノートだから、自分の見やすいように作ったら良い」と言うと、困ってしまう生徒が多いことに驚きました。

 


 その理由を掘り下げてみると、中学校までの授業がそうだったからという答えでした。ノートをきちんと写していることが評価される仕組みであり、ノートは提出があるから取るもの。もちろんノートにまとめることが苦手な子どももいるので、ある程度指定した方が良い場合もあるのでしょう。ただ、この程度のことですら自己決定できないことや、ノートは評価の対象だからやると思い込んでしまっていることに少なからずショックを受けました。

 

 

ちなみに、「ノート提出なんてくだらないことはやらんぞ」と思ってたんですが、やらないとノートとらない子があまりにも多くて、授業が進まないのでやめました。やらない子はテスト前になってもやらないし、赤点とってもやらない。綺麗に写そうが写すまいがどうでもいいし、そんなとこ評価に入れてもしょうがないと思うんですが…

 

 

 

先輩教員に聞いた底辺校のこと

だから最初の頃は、生徒のレベル(という言い方は適切じゃないかもしれないけど)を掴むのに時間がかかって、考えていた授業を1から組み立て直したり、評価の仕組みを変えたり。職員室でうんうん考えていたら、隣の席の先生が教えてくれたんです。

 

「いわゆる底辺校とかに行くとね、アルファベット書けない高校生とかも普通にいるんだよ。高校生で漢字の“草かんむり”の概念がない子もいるんだよ~。この学校の子も勉強あんまりしないけど、授業は一応聞くよね。そういう学校行くと、まず教室に入れるとこから始まるんだよ〜それだけで15分かかっちゃうのよ。」

 

 


その先生は50代の先生で、定時制なども経験してきた先生。都立高校のいろいろな話を教えてくれたり、こんなやり方でやると生徒は寝ないよ~とか(笑)、科目は違うけれどいろんな相談をさせてもらいました。

 

 

底辺校というのは、偏差値レベルで極めて低い学力層の学校のこと。勤めている高校ですら生徒の勉強スタイルには驚いてしまうのに、それでも学力的には都立高全体の真ん中レベル。草かんむりの概念なかったら、配られてる教科書なんてほとんど使えないじゃないかー!それでも生徒たちのレベルに合わせて、なんとか授業していくんだよなぁ。ノートの取り方くらいでびっくりしてちゃダメだな〜と思いました。

 

 

 


そもそも教員になるような人って、そこそこの学力があって、そこそこ以上の教育を受けている。勉強できなくて苦労した人もいるでしょうが、それでもやっぱりそこそこ以上の教育は受けてきている。だから、そのレベルより下のことって、話には聞くけどわかんないんですね(私はレベル高すぎることもわかんないけど)。

それが当たり前と思ってやってきたけれど、そうじゃない人もいっぱいいるんだなと思いました。

 

 

 

 

親がしっかりしていれば…


草かんむりが植物を表す漢字につくことは本来、小学校で習うもの。

それが何らかの事情で抜けてしまっている。地域によっては通っていた学校が荒れていてほとんど授業にならなかったのかもしれないし、いじめがあったり学校に行きたくない事情があったのかもしれない。

 

 

でもそこで、親がしっかりしていれば、そういうことにはならなかったんじゃないかな。例えば、他の学校を探すとか。地域的に問題があるなら引っ越すこともできる。また、家で自分のペースで学習するのを見守ってあげるとか、学校以外の方法を探すのでもいいし。

 

 

そういう子どものことが重視されていない、後回しになっちゃうっていうのは家庭に原因があるなと思います。

 

 

学校を変えるにしても、誰かに相談したり他の学校を探す時間が必要。引っ越すにしても、職を変える必要があるかもしれないし、すぐにできない場合や事情だってある。シングル家庭だったらそういう余裕もないかもしれない。っていうかこれらはまだ良い方で、親がDVをしてたり両親が不仲だったり、虐待してることだってある…やっぱり根本的な原因は家庭にあると思います。

 

 

 

貧困と学力の関係

もちろん貧困家庭=学力が低い、とは一概には言えません(それ言ったら、うちヤバイw)。でもその傾向はあると思います。

働かないとやっていけないから子どもに割くゆとりがない。子どもの学費がないから高校にいけない。行けたとしても、子ども自身も働かないといけない。貧困による心のゆとりのなさで、DV・虐待が起こったり、貧困が子どもに及ぼす影響はやっぱりある。学歴は関係ない、という風潮にはなりつつも、実際にはまだまだある。就職、結婚。そうなると、貧困という負のループは根深い問題かもしれません。

 

 

 

社会福祉の観点も必要…

私が普段考える教育は、そもそもこういう家庭が抜け落ちているなと思います。

あくまで教育に理解のある、つまりは親もそれなりの教育を受けてきた層だけが対象になっています。

 

以前、DV家庭の話を聞く講演会に行ったんですが、私の知らない世界すぎて言葉を失いました。そんな環境に身を置いてたら、そりゃ教育がどうとか悠長なこと言ってられんわ!まず身を守るところからか…!と。で、そこで聞いた話の印象だと、DV家庭で育って結婚後も夫からDVを受けてるとか、負の連鎖が続いて苦しんでる人が多い。

 

 

負の連鎖をどう断ち切るか。

親や家庭に原因がある、とはいえ教育がなんとかできるんじゃないかな、とも思います。親が虐待するような家庭に生まれても、きちんと学習を続けられる環境。もっともこういう場合は、家から離れて養護施設とかに入ることからなんだろうけど。身の安全を保障された上でも、受ける教育が限られてしまわないことが、負のループから抜け出す方法なんじゃないかと思う。 

 



そんなことを考えていたら、昨日児童館で里親制度のビラが配られました。

 

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私はすごく良い制度だと思う。もし子どもができなかったら確実に検討していた。

そもそも親と子どもに血の繋がりはあってもなくてもどっちでもいいなと思います。私は自分の娘は、うちに長期滞在している留学生だと思っているので、それがたとえ他の子になったとしても、可愛いだろうし生活は楽しくなるだろうなと。

 

▼参考

www.mimoz-art.com

 

里親制度って、長期のイメージを勝手に持っていたけど、1ヶ月とかの短期もあるんですね。ただ安心して暮らせる場所をあげるだけで良いんだと思います。それすら叶わなかった子どもがいっぱいいるんだから…

 

 

 

そして大学生の時に、この本を読んだのを思い出しました。

 

 

 衝撃的なタイトル。でもいたってまともな本ですよ。知らない世界のことが知りたいなと思ったし、教員になるのに実親じゃない家庭もあるんだろうなと思って読んだ本。里親になるのには、収入とか細かい審査があるんだなというのも知りました。そりゃそうだよね。めちゃくちゃな家を出てまたひどい家に回されたら人間不信になるわ!でも、里親になる人には気負わずなって欲しいなとも思いました。何か素晴らしい教育を受けさせてやろうとか、立派な学校にいれてやろうとかはいらないから、ただおしゃべりしたりあったかいご飯をみんなで食べて安心させてあげればそれでいいんだろうな、と思います。

 

 

 

とりとめもない文になってしまった。。