mimoza note

八丈島に住む刺繍作家Mimoza SHOJIのブログ。

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保育士が「泣くんじゃない」とか言ってると心底がっかりしてしまう。

タイトルの通りなんですが…


たとえばお散歩中の園児が転んじゃったとして、保育士さんが「泣くんじゃないの〜!強い子になれないよっ」とか言ってる姿を見ると、預けたくねえええー!!と思ってしまう。そんなん言われるなら自分で見るわ、と。



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泣きたいのに我慢するのはえらいこと?

泣くのを我慢するってことは、泣きたい状況にいるのに自分の気持ちを押し殺すってことです。つまり「泣いちゃダメ」=「本当の気持ちは隠しなさい」ってこと。

そういうことを教えてるっていうことに危機感を覚えたほうがいい。

 

 

 

泣くのはダメなことなのか?

「泣かないでえらかったね」「我慢してえらいね」っていうセリフもよく聞くけれど、本当に泣かないと偉いのか?何がどう偉いのか、よく考えたほうがいい。

根本に「泣くのはダメなこと」っていう認識があるのだろうけど、それがそもそも違ってる。泣くのは別に悪いことじゃなくて、必要な発散方法だと思う。

 

 


 

泣きたい気持ちを認識する

転んだら痛いんだからそりゃ泣くよ。でも痛さを忘れる頃には泣かなくなるよ。泣き止むまで泣かせてあげればいい。余裕ある大人だったらただ見守っていられるけど、まぁ余裕がないんだろうなぁ。


「そっか~転んじゃって痛かったんだね。よしよし」それだけでいい。

過剰に可哀想がりもしないし、泣くのを早く終わらせようともしなくていい。自然におさまるまで気持ちを受けとめる。


この前読んだ絵本の中で、転んで泣いてる子どもが「大声で泣いたほうが痛くないんだよ〜う、うわあぁああん!!」ってセリフがあって、そういうものだよねぇって思った。

 

 

悲しいことがあっても泣くし、それは自然なことだと思う。

大人でもそれはあるよね。涙は浄化作用があるっていうやつ。泣いた後は大人でもスッキリする。さすがに大人は転んだくらいじゃ涙は出ないかもしれないけど、子どもにとっては泣くに値するから泣いてるんだよね。

 

 

 

転び方によってはそれほど痛くなかったりして、涙が出ないこともある。だから、涙が出る・出ないはどちらでもいい。

自分が今泣きたい気持ちになったかどうか、自分で認識できる。というのが大事だと思う。

 

子どもは本当に正直で、「今悲しいことがあった。泣く!!」と感情にすぐ反応できる。それに対して「泣くんじゃない!」「我慢しなさい!」とか言ってると、次第に自分の感覚が鈍麻する。「悲しいけど我慢しよう」が「悲しいと思ったかどうかわからない」にまで変わっていく。

 

 

むしろ子どものうちは、感情を出す訓練をしたほうがいいと思う。訓練しなくても子どもは出せるんだけど、それを認識するために出すというか。

 

泣くのを我慢するクセを身に付けちゃうと、嘆ききれずどっかに残る。それがアトピーなどの病気として出ることもある…と思う。

 

 

 

まぁ、私も数年前なら普通に言ってたと思います。自分も「泣かないの!」って育てられてきたしね。でも子どもを観察していて、こう思ったから考え方を変えた。

少なくとも、自分がどう感じたかを殺さないでほしいと思う。嬉しいも悲しいも怒ったぞも、その都度全部出しているからか、娘は落ち着いている。親としても非常に楽。

反対に「泣いちゃダメ」「走っちゃダメ」と口うるさく言われてる子どもほど、ダメと言われてもやりまくる感じがする。発散しきれてないのだと思う。ちょっと時間をかけて、泣きたい時十分泣かせてあげたり、怒ってる時ちゃんと怒らせてあげれば、自然と落ち着いてくるように思うのだけど…まぁこれは推論です。

 

 

 

 

 

こんなこと書いてたら、浜崎あゆみの「A Song for XX」を思い出しました(笑)

 


a song for xx - Ayumi Hamasaki

 

 

歌詞の中に、

泣かないで偉いねって 褒められたりしていたよ

とあるんです。続きが、

そんな言葉ひとつも 望んでなかった

だから 解らないフリをしていた

 

小・中学生の頃流行ったかな(そういう世代です)。

その時は全然共感できなかったけど、今意味がわかりました。あゆすげー(笑)