mimoza note

八丈島に住む刺繍作家Mimoza SHOJIのブログ。

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良い親でいよう、良い教育を考えようとするのは意味がない?


子どもにとって何が良い環境で、
何が良い教育で、
どんなお母さんが良いお母さんかな。。

 

 

ということを常日頃考えています。

 

 

 

そういう態度でいるせいか、たまーになんですが

 

 

「そんなこと考えなくたって子どもは育つんだよ」

 

「子どもにとって悪影響なことを取り除いてあげるのが良いと思ってる?」

 

「子どもには苦労もさせた方がいいよ?」

 

「環境の整えすぎは良くないよ」

 


言葉は違うけど、こんなような問いにぶつかることがあります。

ママ友同士の会話だったり、先輩ママからの言葉だったり、本やブログの記事だったり。なんていうか、定期的にこの問いは現れます。

 

 

 

私のブログの内容からも、子連れで働いてみたり保育園に行かせないでみたりといった姿勢からも、何か頑なに悪影響を拒むというか、厳格なポリシーのようなものを感じるのかもしれません。

 

 

 

先日はこの記事に出会いました▼

center-muscle.hateblo.jp

 

なぜ、すべての親は毒親と言い切れるのか。

例をあげて考えてみる。

 

 

たとえば、子どもが中学生の反抗期。

子どもを抑圧し、おさえつけるような親だとする。

するとそこで子どもは「トラウマ」をかかえる。

そして、それは後々「現実的な問題」となって浮かび上がってくるだろう。

この場合、「トラウマ」を植え付け、「問題」を引き起こしたから「毒親」である。

 

 

 

では、「すごくいい親」だった場合はどうだろうか。

理解があり、何をいっても「はいはい」と笑顔で答えてくれる親。

イライラしていることもなく、落ち込むこともなく、理想的な立派な親。

すると、子どもは反抗することができなくなり、独立心をそがれる。

つまり、反抗するタイミングを逃してしまう。

そうすると、それは後々、「遅れてきた反抗期」として「問題」になるだろう。

それから「親のように立派な人間にならなければ」と、無意味な行動規範と責任を強いられるだろう。

そしてそれは「じぶんの本質」から離れた行動を生んでしまう。

 

 

つまり。

どんな親であろうと、子どもは「問題」を抱えてしまうのだ。

 

 

 

毒親っていうのは、私の考察のテーマでもあります。
アトピーと関連させて考えることも多い重要なキーワードです。


何が毒親で何が良い親か。

そもそも、そういったものは存在するのか。

 

 

 

 

毒親はいないと思う。

先ほどのブログ記事ですが、実は異論はありません。

 

  • 「ミモザさんは良い教育、良い親、良い環境を考え追い求めているみたいだから、毒親という考えがあるのだろう」

 

  • 「アトピーのことで親御さんとの問題を挙げているのだから、そこに問題意識があるんだろう」


と思われているかもしれませんが(あれ?思ってない?笑)

そういうわけではないのです。

 

 

確かに私とアトピーの関係を述べるとき、さも私の親が毒だったかのように書いていますが(笑)、必ずしもそうは思っていません。

 

 

 

 

私の親は毒親だっただろうか?

 

  • 母がうつと統合失調症
  • そのことで両親が不仲

 

これは確かに私に大きな影響を及ぼしました。

慢性的なアトピーとして身体に現れたし、私の子育て・教育観もここに基づく考察からきています。

 


「もっとこうだったら良かったのにな」
「どうして◯◯してくれなかったんだろう」

ということもいっぱいある。

 

 


でも、そこから学んだことが本当に多いです。


アトピーってなんだろう。

心と身体の関係ってなんだろう。
子どもにとって何が必要なのかな。
親子ってどう在ったらいいんだろう。

 


いろんなインスピレーションをもらっている。

 

 


だから、

私の過去に起こったことを否定的には感じません。

 

 


当時は意識もできずただ必死に生きてきて
大人になって振り返ってみたら毒だった(笑)

 


でも、「毒だった」と思えるようになって初めて
毒じゃなくなった。
克服した、というのかな。

 


だから毒親はいるとも言えるし
いないとも言える。

そんな風に思っています。

 

 

 


逆に、全く不自由なかったら(そんなことはありえないけど)どうだろうな…と考えると、それもそれでいい気がします♪

 


今と全く違うものに興味があったんだろうな。

アトピーになってなかったら、アトピーのこと考えもしなかっただろう。身体の仕組みも。

親に精神疾患がなかったら、そういう立場の人を理解できず差別してたかもしれない。

親子の関係や心のことを考えなかったかもしれない。

 

 


でもその代わりに何か別のものにハマっていたでしょう。

アートかもしれないし、案外スポーツかもしれない。

何の制約もなく物事を考える。それも可能性に満ち溢れた素晴らしい世界だと思う。

 


どっちだったとしても
そういう人生なんだ、と思うでしょう。

 

 


子育て・教育に正解はない。

毒親だろうがそうでなかろうが
どっちにしたって「そういう人生だったんだ」って育つ。

 


だとしたら、ありきたりな言葉だけど
「子育てにも教育にも正解はない」っていうのは本当にそうだと思います。

 

 

どれだけ親が努力したかとか
どれだけ子どもが苦労したか、頑張ったかとか
関係ない。

 


子どもが何かを克服するかもしれないし
しないかもしれない。
けど、そこに良し悪しは多分ない。
楽することだけを優先したって別にいい。

 

 

「こうあるべき」っていうのは
あるとも言えるし、ないとも言える。

 

 

だから、私がいつも色々考えてるのは
ある意味無駄かもしれないです。

 


なるべく一緒にいようとか、
子どものペースを大事にしようとか
嫌がることを無理やりさせないとか


正解かもしれないし不正解かもしれない。

 

 

 

 

それでも考え続ける理由

子育てに正解はない。

 

正解がないんだったら普通でいいじゃん!
深く考えないで周りと同じでもいいんじゃない?


…そう言われてしまいそうですが、

それでもついつい考えてしまう理由。

 


それは、ただ自分が素敵でいたいから。
素敵なお母さんになりたいから、だと思います。

 

 


正解はないからどうやってもOKなんだろうけど、
自分の中で「これがいいだろう」と思ったものを選ぶ・試せるっていうのは、すごく豊かなことだと思う。豊かだしクリエイティブ

 


私の場合、自分が学校世間の常識やなんかから

つらい影響を受けて育った記憶が多いです。

 

 

それに縛られないで育ててみたらどんな風になるのかが見たい。

だから娘で実験しているのです。

実験ってちょっとアレな言い方だけども(笑)

 

 


「子どもは無知だから、大人が何かを覚えさせて育てていくものだ」と思っている人が大多数いると思いますが(ごめん、教員に多いと思う)、子どもって生まれた時からいろんなものを持ってますよね。

 


私も娘が生まれたから気付いたけど、

赤ちゃんってまっさらなゼロの状態じゃなくて1とか2くらいは持ってる。

いや、10持ってるかもしれないし100持ってるかもしれない。

大人になるにつれて減ってくものかもしれない。それが個性っていうのかな。

 


そういう流されやすい性質のものを、あんまり傷つけないで育ててみたらどうなるのかが、ただ知りたいです。

 

 

 

 

娘はどう受け取るのか

私はこれが良かれと思ってやってるけど、

もしかしたら大人になって娘から言われるかもしれないです。

「もっと一般的に育てて欲しかった!」って(笑)

 

そしたら私を反面教師にして、孫を超一般的なスタイルで育てるのかな。

でもその頃には「一般的」という言葉すらもっと曖昧になって、いろんなものが多様化してると思うのだけど。

 

まぁどっちでもいいし、

そこは私が口を出すところではない。

また、謝ることでもない。

 

 

私が素敵だな、と思うことをやるだけ。

 

 

 

素敵ってなに?


素敵、というのも人それぞれで、

私が素敵じゃないと思っていることが大多数の素敵だったりすることもある。

 

でも私は私の思う素敵、を追求したいし、

分析して1mmでも多く近付きたい。

 

 

教育のことを考えて意見するのも、

自分が素敵だと思うあり方を見極めるため。

 

子育てについてこだわりが多いのも、

ひたすら自分が素敵だと思う方法をとって納得したいため。

 

 

それがアダになる可能性ももちろんある。

 

けど、子育てで失敗したくないからやっているのではなくて、

これまでの経験から自分の思うベストな方法を試してみたいから。

 

 

 

子育ては非常にクリエイティブな営みだと思います。

だから思いっきり考えて、考えた上で実践するのは楽しい。

 

 

 

仕事復帰しなきゃいけないから保育園入れなきゃ…

待機児童が多いから、早めに預けて点数稼がなきゃ…

みんな習い事始めたし、うちもさせた方がいいのかなぁ…

 

 

とか、そういう考え方は、私にとっては素敵じゃない。

自分の思った通りにいろんな方法をただ試す。

娘と過ごす時間は本当にクリエイティブで素敵。