【子どもは自分の所有物ではない】っていうのは、いつもかなーり意識しています。
「うちの子は~…」っていう言葉もあんまり使わないようにしてる。
別に、そう言ってる人たちが子どもを所有物にしてるかっていうと、そうではないのだろうけど。私は自分で気になっちゃうから、そうしてます。
じゃあどう呼ぶかっていうと、なるべく名前で。しかもちゃん付けが多いです(笑)
これも理由があって、ひとつは
- 呼び捨てだと上下関係が出やすくなる気がするから。
大人の方が偉い、能力がある、っていう意識はなるべく消そうと思ってます。
実際、子どもの方が凄いなと思うことが多いし。観察眼の鋭さとか、素直に感情出せることとか。空気読む力も凄い。
そういや教員だったときも、周りの先生はみんな生徒のこと《苗字呼び捨て》で呼んでいて、それもすごく違和感でした。
社会に出て、相手のこと苗字呼び捨てで呼んだりしないでしょ。
そこは頑なにこだわって、○○さん・○○くん と丁寧に呼ぶようにしていた。
そしたら点呼のとき、ものすごいめんどくさいってことがわかって若干後悔しました(笑)まぁでもあれも、教師・生徒の上下関係が呼び方に出ていた例だなって思います。
あともうひとつの理由は、これも子どもを所有物とみなさないための工夫として。
親子ってどうしても距離が近くなるから、親の価値観を押し付けてしまう。無意識だとしても。
極端な例だと「良い学校に入りなさい」とか「こういう仕事に就きなさい」とか。
逆に「こういう仕事はダメ」っていうのもそう。
そういうレベルの話じゃないにしても、
こういうテレビは観ちゃダメだとか
こういうゲームはしちゃダメだとか
習い事はこんなのをさせたい!っていうのもそう。
そういう些細な話だとしても、親の希望が入り込む。
それをまったく皆無にするのは逆に不自然だとは思うけど、子どもの言い分が入り込む余地は残したいなと思います。
自分の子どもだからこそ、つい口が出ちゃう部分はあるから、
「この子はたまたまうちに来た留学生」と思うようにしてます(笑)
そう。たまたま私が産んで、たまたまうちで育てているだけ。
旅立つまでの間、長期でうちに留学してる子なんです。
私のものではない。どちらかというと、みんなの子。
だから、子どもがなんかのアニメの超オタクになったとしても「へ~おもしろいね!」って思えるし、
仮に不登校になったとしても「学校合わなかったんだね~」それで終わり。
コントロールしようとは思わない。
そう思ってるから、育児に悩みはほとんどない。
まぁ、そんなこと言ってもこれから増えていくのかな?笑
年齢上がるとともに考えることも増えるもんね。
でもこのスタンスは基本的に変えないと思います。
追記
えらそーなこと言ってますが、
仮に娘が「AKBに入りたい」と言ったら
コントロールしちゃうかもしれません(笑)
オーディションくらいはついってってやるかなー。あーでもー…もごもご
むずかしいね。