マクロビ頑張ってた頃…
子どもが生まれたばかりの頃、母乳のことやらいろいろ考えてマクロビをやった。
結果、気持ち的にすごく苦しくなり、食事に対して素直に楽しめないというか罪悪感さえ持つようになった。「本当は食べちゃいけないのに…」みたいな。
さらには他人の行いさえも批判的に見るようになってしまった。「え?こんなジャンクなもの食べてて良いと思ってるわけ!?」みたいなね(笑)
マクロビオティック自体は悪くはないと思うんだけど、私にはルールが多すぎた。
陰と陽を考えるのも、面白いというよりは結構ストレスで…
「えぇと…この食材は陰性だから、陽性のものをプラスして…」とか、知識を持つとどうしても考えるようになってしまう。
でも、今となってはあの頃の知識が活きて、食べ方を意識できるようになったし、ラフに付き合えるようになってきたと思います。
食材には気を遣うけど、例外を許せるようになった。無農薬の新鮮な野菜が手に入ったら嬉しい!けど全部じゃなくていいし、加工品を使ってもいい。
絶対お肉が合う料理だってあるし、甘いお菓子を食べるイベントも楽しいから、それを禁じるのも不自然だなって。
マクロビが生き甲斐ならどっぷりハマる方が幸せだけど、私には【取り入れる】くらいがちょうど良い。
自然育児という枠
どちらかというと自然育児をしている部類に入ると思います。
2年以上ほぼ布おむつで育てているし、予防注射も打ってない。風邪などでも小児科に連れていったこと皆無。割りとベジタリアンっぽい食生活。
ただ、個人的には“自然育児”という言葉が好きじゃなくて。
自然育児、という言葉で連想されるイメージがある分、それをしてる人というカテゴリーに入るのがちょっと嫌というか。
現代の育児がダメで、昔ながらのやり方が良い、みたいな雰囲気があるからかもしれません。自然育児してないお母さんたちと、なんとなく対立してしまうのも寒いことだなと。
ファッションもナチュラルなデザインが実はそんなに好きじゃない(笑)かといって化学繊維バリバリも好きじゃないけど。自然派っぽいことしてると、そっち系のファッションが好きなんでしょ?と思われるのが嫌だなぁと思う。
私のやり方に自然育児っぽい部分は多いけど、良さそうなものを【取り入れてる】だけであって、自然育児だけやっているのではないのになぁと思う。
田舎暮らし?
八丈島に住むにあたって「田舎暮らしがしたいんでしょ?」と聞かれたことがあったけど、これもまったく違います。
むしろ都会大好き。活気のある人ごみも、洗練された都市の雰囲気も私は好き。
どっちもいいな、と思う。
だけど住む場所は静かな方が良くて、賑やかな場所には元気をもらいに行く。
自然が多くて静かなところに住みたい、というと
「都会が嫌いなんだね」「田舎暮らししたいんでしょ」と思われてしまうことが多く、いつも説明に困ってしまいます。
そうじゃないのにって。
いろんな教育があるけれど…
一斉教育の限界を感じ始めてから、個を大事にする教育方法を調べ始めたんですが…
たとえばシュタイナー教育は、ノートの取り方なんかもびっくりするくらい芸術的で面白いなと思う。
けど、実際どうなんだろう?と思う部分もあります。
人の成長を7年周期で考えるところ。一理あるのかもしれないけど、全員が当てはまるわけじゃない。
オイリュトミーもかなり独特で、特に思春期の子どもの場合、抵抗ある子もいるんじゃないかしらと思ったり。
親がシュタイナーに通わせたいってパターンも多そうだなぁ、とか。
ただ、【取り入れ】たらすごく良さそうな実践もたくさんある。
モンテッソーリもそうだなぁ。基本的には良いと思うんだけど、どハマりはしないというか…
サドベリースクールも、合理的かつ本質的で面白い学校だと思う。
先生(というかスタッフと呼ぶのかな)から何か教えたりすることがまったくなく、子どもたちが自分で見つけるというのは十分可能なんだろうなと思う。
でもほんの少ない時間、大人からアプローチする時間があっても良いんじゃないかとも思う。やらないことにこだわりすぎているような。
年長者と若者がいたら自然に起こりうるような会話を、不自然に排除してる感じが少しする。実際違うかもだけど。
方針としては【取り入れ】つつ、大人が先をゆく者としての提案をする、でいいんじゃないだろーか。
取り入れるだけの気楽さ
全部そうなんですが、ちょっとずつ【取り入れる】、つまみ食いみたいな感じで良いんじゃないかと思ってます。
徹底して実践してる方がわかりやすいんですがね。人に説明するときとか、名称があった方がスパンと言える。
「マクロビを実践しています」
「ここはモンテッソーリ教育の保育園です」
とか、言い切れることは便利だし、理解してもらいやすいなと思う。
けど、ほんの些末な部分で「そこは違うかも…」ということがあるんですよね。ない人もいるんだろうし、時に羨ましくもある。
でも合わない部分が生じるなら、自分でいろいろ組み合わせてコーディネートするのが自然というか、妥当かなと思います。
【取り入れること】と【組み合わせること】が、今後私のテーマかなぁ。