私は小学生の時、野鳥にものすごーくハマっていました。
野鳥博士時代
しょっちゅう鳥の絵を描いてました。図鑑を見て正確に描きたかった。
庭に餌台も置いて、ひまわりの種を食べに来た野鳥を観察したり、梅の木に巣箱を設置したりした。毎年シジュウカラが子育てをしに来てくれて、巣立った後に巣箱を分解するとそれはそれは綺麗な巣が残っていました。
ちなみにシジュウカラってこれね▼
かわいいなぁ〜
休日はほとんど双眼鏡を持ってバードウォッチングに行きました。
公園、川、干潟。図鑑と照らし合わせて、見た鳥をチェック。日本野鳥の会に入ろうか本気で悩んでいたなぁ(でも年齢層が違う気がしてやめた)。
自然と鳥たちの特徴も覚えました。あの鳥は水辺に多い。あの鳥は地面にほとんど降りない。飛んでる時の羽の形。鳴き声の違い。
今でも飛ぶ鳥を見ればその時覚えた名前が思い出せるし、鳴き声を聞けばどの種類の鳥かがわかります。誰に頼まれた訳でもなく、ただ興味があって知りたかった。
学ぶことが自然にできた時期
あれが私の中で、【自ら学ぶ】という経験だったなぁと思います。
人から見れば役に立たない知識かもしれないけれど、私にとってはなぜか惹かれてしまうもの。ただやりたいからやっていました。
学習ってそういうものなんじゃないかな、と思います。やりなさいって言われてやるんじゃない。まず、自分がやりたいって感じることから始まる。
興味を誰かに「持たせられる」ことのおかしさ
教員の時、「生徒に興味を持たせる工夫を〜」とかって指導案にも書くし、研修でも散々言われるんですが、今思うとなんだったんだろう…と思います。もちろん教師として、生徒を惹きつける導入とかネタは必要。でも所詮マンガだったり、クイズ番組とかテレビの受け売りだったりの域を出ないんですよね。動機付けとしてはその場しのぎでしかない、薄っぺらい興味の持たせ方。興味って誰かに持たせられるものじゃないものね。きっかけくらいにはなるかもしれないけど。
そもそも「学びたい」「知りたい」って気持ちに理由なんかいらないのかもしれません。私だって「なんで鳥なの?」って聞かれてもうまく答えられない。可愛いから、かな?笑
興味は人それぞれ違う
当時、クラスで鳥の話をできる友達なんていませんでしたよ(笑)
でもみんなそんなもんだったかもしれません。すごーくバレエを頑張ってた友達がいたけど、その子もバレエの話を他の誰かとしてなかった。
他にもジャニーズ好きな子とか、漫画好きな子とか、釣り好きな子もクラスに一人いるくらい。サッカーやってる子は複数いたけど。
大学とか社会に出てやっと、話の合う人が出てくるくらい。それだけ人の興味あることって被らない。だから学校のお勉強に興味持てない子がいるのは至極当たり前のことなんじゃないかなぁ。
役に立たなくてもいい
また、役に立つと言われる価値が今はなくとも、方法次第ではそれが役立ち、仕事にすらなる時代になるんだと思う(もうなってるのかも)。さかなクンが良い例だよね(笑)“役に立つから”という理由を越えた、個人が興味から発する学びがもっとできるようになったらいいなと思う。
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