mimoza note

八丈島に住む刺繍作家Mimoza SHOJIのブログ。

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学びの起点を子どもに置きつつ、大人がどうアプローチするか

学びの起点を生徒に置きつつ、国語の授業をやるとして…

 


極端な例だけど、

「国語に関することすべてが嫌だ!学ぶつもりなーい」

って子がいたとして、それでも法律で定められた学校として卒業認定するためになんとか国語の学びはしなきゃいけない。でもあくまで学ぶ動機は子どもに置きたい、って場合どういうアプローチができるか考えてみました。

 

 

 

夫の意見

(このブログではご意見番としてたびたび登場しますよw)

「言葉使ってて困ったことない?」って聞いてみる。

もしくは「最近いつ言葉使った?」って問いかける。


     ↓

子どもがいろんな具体例を挙げてくるので、そこで国語を使ってることに子ども自身が気付く。

「っていうか今考えてるソレ、頭の中で日本語使ってるでしょ」

と、思考に使っていることにも気づかせる。

 

 

ふむふむ。これもやってみたいなぁ。どんな答えが飛び出すか楽しみ。

 


それの応用で、身近なこと・興味のあることにつなげて考えるのが良いかなと思う。

 

音楽に興味のある子だったら、好きな歌の歌詞のどこが好きなのかとか。好きなアーティストにファンレターを書いてみるとか。
興味のある分野の本を読むにしても雑誌を読むにしてもネットの情報読むにしても、言葉は避けて通れないから、切り口はいくらでもあると思う。

 

 

美術史ゼミでのこと


そういえば、大学の時、私は美術史のゼミに入っていたのですが、初回のゼミで教授がいきなりホワイトボードに1枚のポスター貼って、

「ここに描いてあるものを全部文章にしてみて」

と言ったんです。

 

 

その時のポスターの写真がこれ▼

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 (引用)古本市から: 春秋堂日録

 

 

意外と難しいんですよ。

 

「中央に大仏がいる。」って書いたら、「これは大仏ではなく菩薩っていうんだよ。なぜなら着ている洋服が…という風に美術史の世界に入っていくんです。(大仏は悟りを開いた後で、菩薩はまだ修行中の人。ついでに言うとろく菩薩。)

 

他にも「菩薩が台の上に立っている。」って書くと甘すぎで、

どう立ってるの?直立?よく見てごらん。服の上からでも右膝が少し前に出てるのがわかるでしょ。これはギリシャ特有の立ち方でね…シルクロードを伝わってやってきたギリシャ文化の影響が見られるんだよ、とか。

 

ゼミ生みんな美術に興味があったから、そこですっごく引き込まれた。

他にも、

  • 「頭の後ろにある丸いもの」→光背
  • 「腰で結んだベルト」→ヘラクレス結び
  • 「左手に持ってる丸い瓶?」→すいびょう

 

えー!こんなのにも名前あんの?!すごい!って思った。

 

 


と同時に、自分の使ってた言葉がいかに曖昧かということに気付いた。

ポイント挙げるとしたら、

  • 細部まで見逃さない
  • 名称があるならそれを使う
  • 大きさや長さを正確に表す
  • 時には何かに喩えて表す

 

というところでしょうか。

 

教授曰く「これを見たことがない人でも、頭の中にイメージできるように書く」だそうです。なるほどなぁ。

 

たった一度のこの授業のおかげで、自分の言葉にすごく注意を払うようになりました。適切な表現か?もっと言い表わせるんじゃないか?余計な部分はないか?

こんなアプローチ方法もあるんだなと思いました。 

 

 

 

余談

ちなみにこのポスター、昭和62年に奈良国立博物館で開催された『菩薩』展のポスターだったそう。

 

このポスターを見た教授が「これは贋作だ」と見抜き、質問状を送ったそうな。

私が生まれる1年前の話ですが、当時は大きな波紋を呼んだみたい。

 

▶︎奈良国立博物館で特別展示の「石造弥勒菩薩立像」を贋作と指摘した。 | 1987-12-24 | Time-AZ

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田辺先生、元気かな?