mimoza note

八丈島に住む刺繍作家Mimoza SHOJIのブログ。

スポンサーリンク

好きなことだけやればいい?「受けとめる」と「受け入れる」の違い

今日は教育関係の方とお話して、貴重な意見交換ができたのでそのことについて。



好きなことだけやればいい?

最近の私は、このことについて考えていました。



やりたくないこと、苦手なこと、興味のないことを避けて生きても良いかどうか。




最近はそれでもいいんじゃないかって思ってました。



人生長くないわけだし。時代も「好きなことを追求していい」時代になった。自分を嫌う人と無理して付き合うことはない。自分を好いてくれる人と一緒にいた方が幸せ。人生の在り方を考えるなら、幸せを感じる時間を長くした方がいいのだから、好きな世界で好きな人たちと生きた方がいい。そう思ってました。






あくまで最近はね。


むしろ今まではまったく逆の考えでしたよ。





多少の我慢はあって当然だし、我慢ができるべき。苦手なことにも取り組む、努力するのが美しい。また、頑張ればいつか報われる、みたいな思いもありました。だから嫌なこと、苦手なこともある意味積極的にこなさないとダメだって思ってたんです。


それが、子ども生むまでの考え。




子どもが生まれて、子どもにどう生きてほしいか考えるようになって、好きなことを追求してほしい!って考えになりました。



そんな中で、サドベリースクールのようなカリキュラムがなく自分の興味をとことん追求できる学校を知ったりして、「それでいいんだ」と思ったというか。



「我慢」「努力」の反動で、「好きなことだけ」という思いが強くなった面がありました。








嫌いなものは一生食べなくていい?


今日、教育関係の方とそんな話をしていたら


『じゃあ、子どもが「にんじん食べたくない」って言ったらどうする?』


という話になりました。



f:id:colibli:20170217221850j:plain





今現在、私は2歳の子どもに好き嫌いはとやかく言わないようにしています。


まずは食事が楽しいものだというのを優先させたいから。


一時的な好みもあるし、本当に好きか嫌いかはまだわからない。短期的に判断するのではなく、長期的にみて食べるようになったら良いかなと思っています。
だからまずは大人が美味しそうに食べる。それを見て、「なんか美味しそうだな。食べてみようかな」と思ったら食べると思う。「食べなきゃ」と思わせるより「食べてみたい」と思わせる方がいいかなと思ってそうしてます。






でも、ずっと食べなくていいよ、なのか。


それを聞かれて困ってしまいました。



やっぱり食べてもらいたい気持ちもあるし、一生避けていくのが健全だとも思わない(特に食事に関しては)。






じゃあやみくもに「食べなさい!」って言うかとしたら、それは言わない。



にんじんのどこが嫌なのか。味か?匂いか?食感か?嫌いな理由を掘り下げていった上で、克服できる方法を探していく、とは思います。




でも、そこからどうするか?食べさせる?食べなくてもいい?と聞かれると困ってしまいます。




私の中で、方針がまだ定まってないんだなと気付きました。


キャビアが嫌いとかだったら別に食べなくていいんですが、にんじんは使用頻度も高いからね(笑)









「受けとめる」と「受け入れる」の違い


こんな場合どうするか、逆に聞いてみました。


その方の答えが、子どもの思いを否定しないけど、生きていく上でも大切な方法で、すごく納得できるものだった。







まず、子どもの思いを「受けとめる」


これは上でも書いた通り、にんじんがなぜ苦手で、どこが嫌なのか、その言い分をきちんと聞いて受けとめること。




ただし、それを「受け入れる」かどうかは違う。






にんじんが嫌いというのを「受け入れ」て、一生にんじんは食べなくていいよーというのは違う。



にんじんに限らず、生きていれば苦手なものや嫌いな人も出てくる。その中でどう向き合うか、どう対処するかを学ぶ。身に付ける。


だから思いは「受けとめる」けど「受け入れる」ということではない、とのことでした。




なるほどな~というか、とてもしっくりくる。言われてみれば、そうしていた部分もあります。公園に行って「帰りたくない」と言われた時、「そっか、まだ遊びたいんだね」と気持ちは受けとめる。時間が許せば受け入れられることもあるけど、用事があれば受け入れられない。子どもには我慢してもらう。



全部を全部、優先することはできないし、物事に折り合いをつけていくことは自然なことだなぁと思います。



苦手な勉強に取り組むメリット

勉強に関しても、同じようなところがあると思います。


  • まったく興味のなかった分野だけど、やってみたらおもしろかった。
  • 苦手でやりたくもないと思ってたけど、わかるようになったら面白いと気付いた!


そういう気付きは、好きなことだけやっていたらできない。


そもそも

  • こういう分野がある、こういう学問がある、というのを授業があったから知った。

という経験は誰しもあるはず。



そういう学問への入り口に出会えないというのも寂しい話だよね。
苦手なもの、興味のないものに取り組むというのを不自然に除外していくことはないんだと思います。






嫌い・苦手な部分はその人の特徴

やりたくないこと、興味のないこと、嫌いなことに対して、どこがどう嫌なのか。
これはきちんと自分で認識しておいた方が良いと思う。


それがその人の個性であって、特徴だから。



嫌でも我慢してやりなさい!が従来のスタイルだった。そこに嫌だと思う気持ちの「受けとめ」はなくて、ただこうであるべきという型に合わせるしかない。何が嫌だとか、どう嫌だとかは関係ない。できる、克服することが偉い。できたらできたで本人は何がどう嫌なのかわからなくなる。自分の特徴を見失う。



大人が子どもにできることと言えば、嫌だって思う気持ち自体を否定しないこと、なんじゃないかな。。





ちなみに私はジェットコースターとカラオケと電話が嫌いです。


ジェットコースターは乗らなくてもいいしカラオケも断ればいい。ただ、電話は嫌がってもいられないので「えいやっ」と気合いを入れてかけています。


生活に支障のないものは避けて、どうしてもやらねばならないものは早めに終わらせるのが、自分なりの対処法かもしれません。

電話、声だけで相手の姿が見えないのがすごく怖いし、出なきゃいけない感じがプレッシャー。気付かなくて着歴残ってるのも、かけ直さなくちゃーとか、今かけていいタイミングかしら??とかすごく気を遣う。その点メールの方がいいな。