mimoza note

八丈島に住む刺繍作家Mimoza SHOJIのブログ。

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自分の子どもを謙遜するな。可愛いなら可愛いといえ。

小学生の時の話をします。

 

母に言われた「内弁慶」

私は引っ込み思案な子どもでした。

初対面の人に自分から話しかけることはない。輪の中心にいるタイプではない。率先して手を挙げるような子でもない。積極性とか社交性は…ない。

 

でも、家では(慣れているし安心しているので当たり前?)普通に元気におしゃべりしていました。今思うと、学校が少し緊張するから、その発散の意味もあったかもしれません。

 

 

ある時、通信簿だったか連絡帳だったかの親からのコメント欄に、母がこう書きました。

 

「内弁慶な娘なので、皆と仲良くできるか心配です。」

 

 

たしかこんな内容だったと思います。とにかく内弁慶という言葉があった。

内弁慶の意味がわからなかったので、母に「これなぁに?」と聞いたんです。

そしたら母は、「内弁慶っていうのは、外ではおとなしく黙ってて、家では威張っている人のことよ」と言ったんです。

 

 

それが子どもながらにすごくショックでした。

母は私のことそんな風に思ってたんだ。私は恥ずかしい性格なんだ。これは直さなきゃいけないことなんだ。。そんな風に思いました。

 

また、私の全部を好きだと思っているわけじゃないんだ…とも思いました。私のこういう性格は嫌いなのかも。どうしよう。外でも頑張って楽しくおしゃべりして、家の中ではわがまま言わないようにしよう、と思いました。

 

結果、高学年になる頃には、適度に外でも意見が言えて、家の中でもそこそこ良い子っぽくなりました。めでたしめでたし。。

…じゃないですよね。未だにこうして覚えてるんですから。

 

 

今冷静に考えると、母は別に私の内弁慶な性格を嫌っていたのではないと思います。ただ、心配はしていたのでしょう。一人っ子だし、友達を作ったりみんなで遊ぶのが苦手なんじゃないかしら。仲間外れにされたらかわいそうだわ、というように。

 

 

また、自分の娘の性格を謙遜して言った部分もあるのでしょう。

「うちの子は明るくて優しくて本当に素晴らしい子です!」なんて担任の先生に言う親は(いるかもしれないけど)そんなにいないでしょう(笑)「不出来な子ですが…」とか「勉強はさっぱりですが…」とか大抵そんな風だと思います。だから別に母が先生に言ったことは、至って普通のことだと思います。

 

 

それでも子どもの頃はすごくすごく悲しかった。内弁慶な性格を治すため一生懸命になった。社交性が身に付いて良かった、とも思うけれど、別にそれはこの言葉がなくても身に付いた可能性がある。とにかくストレスの結果身に付けた、というのは事実です。

  

 

 

この経験があるから、私は娘を悪く言わない。

正直可愛くて可愛くて仕方がないし世界で一番素敵だと思っているから、悪く思う部分がないって言うのもあるんだけど(笑)、娘のことを謙遜しないようにもしています。

これは結構しているお母さんが多いと思う。児童館とかで「うちの子、バカだからごめんなさい」と、たまに言われることがあるんだけど、たぶんそれ聞こえてるよ、と思う。

 

しないようにしてる…のだけど、実はちょっとしちゃうこともあって、例えば外で元気なおばちゃんなんかに娘が話しかけられて、私の陰に隠れちゃう時。娘は初対面の人を警戒することが多いので、間が持たないとつい「すみません、うちの子シャイなものであはは…」とかおばちゃんに説明してしまう。あれもちょっと、娘としては傷つくかもなぁなんて思わなくもない。シャイくらいいいやん、とも思うのだけど、良い気分はしないだろうな。「照れ屋で…」とかも子どもによっては嫌なんじゃないかな。

 

つまりは、子どもの性格がどう、っていうのは安易に言わない方がいいんじゃないかと思う。気が強い・弱い、明るい・暗い、わがまま・おしとやか、など。文脈によって良くも悪くも捉えられるし、そもそも良い・悪いというものでもない。

 

 

無条件の愛が「自信」を生む

インナーマザーは支配する―侵入する「お母さん」は危ない

インナーマザーは支配する―侵入する「お母さん」は危ない

 

 

この本にもありますが、親の仕事はとにかく子どもを【無条件に愛すること】。

 

子どもを良くしよう、できるようにしよう、きちんとしつけよう、良い子にしようなどと考えず、まず無条件に受け入れ、かわいがる。

「お前は器量よしだからかわいい」という条件付きの愛は、子どもに歪んだ認識を植えつけます。顔がかわいいからかわいい、というほめられ方をしたした子どもは、かわいい人は愛され、そうでなければ愛されないという信念を持つようになります。

何もできなくても、何か誇りがある、というのがいい。健康な自己愛を持った自己評価の高い人は、誇り高く生き生きと、今ある現実を楽しむことができる。そういう人間を育てることが親の仕事なのです。

 

「親バカ」といいますが、親は親バカでいいのです。うちの子が一番かわいい、くらいに思ってるのがいい。

 

 

性格なんてどうだっていいんです。もっと積極的で明るい子になってほしい、とかいらない。ただかわいい、大好き、それで十分。

 

 

自分の子だからといって、他人の前で謙遜しなくていい。

自分から生まれようと、自分が育てていようと、その子の元々の性質とは関係ない(遺伝とかあるかもしれないけど、あなたと子どもは違う人)。

 

他人からどう思われようが可愛いんでしょ。それでいいじゃん。

 

 

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