先日、小学生たちと工作をする機会がありました。
テーマは自由。
というか、ない(笑)
- お菓子やティッシュの空き箱
- サランラップ、トイレットペーパーの芯
- 牛乳パック
- 卵の透明のケース
- ゼリーのカップ
- ヤクルトの入れ物
- ガムテープ、ビニールテープ
などをただ置いておき、
『好きなものを作っていいよ』
とだけ言う。
最初、「それでできるのかな…」と思ったんです。
というのも、高校教員だった頃、高校生たちに『自由にしていい』というと、まるで何もできなかったのを見ていたから。
何かプリントを与えたり、何か指示を出せばやるのですが、
例えば自習になったりして
『自由に何してもいい』と言われると、どうしていいかわからない。むしろ何をするか決めてくれ、と言われたことがありました。
だから、なるべくテーマとか方向性は示した方が良いと思っていたんです。
実質、自習だとしても
「この時間は漢字の勉強」とか、
「このプリントをまずやって、早く終わった人はテスト勉強」とか。
作文とかも同じで
「自由に何書いてもいい」と言うと書けないから、
『修学旅行の感想』とか
『○○について』というようなテーマを掲げておく。
そうしないと、いつまで経っても何も書けないから…
そう思ってました。
だから、工作をやるにしても
『海の生き物を作ろう』とか
『理想の乗り物を作ろう』とか、
そういったテーマというか、縛りをつけないとできないんじゃないかなと。
あまりに自由すぎると思いつかないんじゃないか。
高校生ですらそうなんだから、小学生なんてもっと細かく指示を出してあげた方がいいんじゃ…
そう思ってました。
もう深く反省。
大きな誤解だった。
小学生はそういう縛りなど全く要らない!
むしろ自分たちでさっさと作る。
ある子はポッキーの箱を棒にテープでくっつけて「包丁だよ!」と言い、すぐにまな板や野菜を作った。
ある子は卵の透明ケースを切り取って、テープで貼ってカプセルを作り「ガチャガチャ作ったの」。
ある子は船。
ある子はタワー。
指示はまったく出していないのにどんどんアイディアを出して、各々ひらめいたものを作っていました。
むしろテーマがあったら邪魔だっただろうと思う。
『○○をつくりなさい』というのがなかったからこそ、材料を見て想像を膨らませられたんじゃないかと思いました。
創造する力、については高校生の方が劣っているなぁ…
というか失っちゃった、
むしろ、失わせちゃったのかもしれない。
『○○をつくりなさい』
『そういうのは作っちゃダメ』
『上手に作りなさい』
『こういう作り方でないとダメ』
大人の声かけとか、指示とか、カリキュラムとか評価とか。
そういうものが、持っていた創造性を奪っちゃったんじゃないかなと思う。
いずれにせよ、「ただ作る」というのができる小学生の姿を見れたことは、私にとって有り難かったな。
これを知らなければ、子どもを【指示を与えないとできない存在】として見ちゃってたと思うから。
娘もできるんだよなぁ。。
指示は最小限でいい。
むしろなくてもいい。
子どもが創造性を持ったままでいられるにはどうしたらいいか、考えよう。