こちらの記事の続きです▼
前回、シュタイナー学園オープンデイにて参加した催しやら見てきたものなどを書いたのですが、それらについて“私が個人的にどう思ったか”書いてみようと思います。
芸術教育への理解
まず第一に感じたのが、芸術性をものすごく尊重しているということです。
校舎内のいたるところの壁が、優しいカラフルな色の漆喰であること(学年ごとに違うそうです)。
カーテンの色も、部屋にあったものにしていること。
ノートはただ写すのではなく、色鉛筆やクレヨンを使い絵を描いたりしながら書くということ。
数を表現、理解するときは美しい図形や幾何学模様、フォルメン線描を描くといったことから始めること。
教室や空間の雰囲気づくり
過ごす空間の雰囲気って、大事なことだと思います。
普通の学校って、インテリアには特にこだわらない場合が多いですよね。
白い壁に白いカーテン(たいてい汚いw)。
白いことが悪いとは思いませんが、
優しいカラーのお部屋と特に考えられていない適当なお部屋、どちらが居心地がいいかなってことです。(ごちゃごちゃがいいって人も中にはいるのだろうけど)
大人の私がいうのもなんですが、
普通の学校の教室に入るときって、一瞬ちょっと構えることがあります。なんでしょうね?目から入る刺激が強いっていうか…ほんの些細なことなんですが。
かたやシュタイナーの学校の教室に入るときは、そういう感じが全然なかった。
廊下にいても教室にいても、ほわんとした色の中にいるからなんじゃないかなと思うんです。
教室になかなか入れないとか落ち着いていられないって子は、人間関係が原因のこともありますが、案外、空間の物が作り出す環境や雰囲気のせいなのかも…とふと思いました。
子どもの持つ芸術への欲求
学校のパンフレットに『子どもは生まれながらに芸術への衝動を持っています』とあります。
私も娘とかそのくらいの年齢の子を見てて思いますが、
とにかく絵を描いたり踊りたがったりしますよね。
別に「こういう風に描くんだよ」とか「踊りってこうだよ」とか教えてませんが、紙とペンを与えれば描くし、何もないけどいきなり踊ってたり。何か作るのが大好き。
誰しも芸術への衝動・表現したいという欲求があるのだと思います。
おまけではない芸術科目
普通の学校でノートに絵を描いたら「絵は描いちゃいけません」って言われます。
シュタイナーの学校の場合、そもそも絵を描くことも授業の中に取り込まれているし、(これは確認してないけど)ノートに絵を描いたってとやかく言われない気がする。
また、普通の学校の場合、芸術科目ってどちらかというとおまけですよね。
音楽、図工、家庭科、体育とかって、いわゆるお勉強科目とは対比させられて、あまり重視されていない。
シュタイナー教育の場合、それらの活動がものすごく大切にされているし、そもそも科目の垣根がないほどにあらゆるところに芸術科目が潜んでいるんです。
数学なんだけど、絵も描くから美術?
家庭科なのか図工なのか??
オイリュトミーは体育か??
いろんな要素を含んでいるので、一般的な教科の区分があまりにお粗末に感じるくらいです。
子どもが生まれ持っている芸術への欲求を、否定しないでどんどん表現させるというのがすごく良いなと思います。
人と同じでなくていいという居心地の良さ
『シュタイナー教育の学校に通っている子どもは、行進ができなくて困る』
という皮肉があります。
行進って、たとえば運動会の入場行進とか
普通教育の世界ではあたりまえにやることで、苦手な子どももいますが多くの子ができるもの。ちょっと軍隊っぽいですけどね。
それをシュタイナーの学校ではやっていない、という意味なんですが、よく考えたらそれでいいと思うんです。
人と同じでなきゃいけないことって、実は少ないのかもしれません。
人よりできる・違うことをバカにされない
私はここにすごく良さがあると思うのですが
たとえばこういうことってありませんか?
- 英語の発音がすごく上手いとからかわれる。
- オペラ歌手のように声量があって美しく歌うとからかわれる。
- 似合っていても、奇抜な格好だと笑われる。
- 部活動などで女の子の中に一人だけ男の子が混じっていたりすると、何か言われる。
私、自分が普通の公立の小学校に上がったとき、一番感じたのがこれでした。
みんなと違うかもしれない…?
それまで私は、親の元でわりとのびのび育ってきたんですが、小学校でカタカナの名前の子が一人もいないことにびっくりしちゃったんです。
というか、お友達に「どうしてみんなとおんなじような名前(漢字)じゃないの?」って聞かれてびっくりしたんです。
「え?普通じゃないの?ダメなの??」って思いました。
また、1年生のはじめの授業でびっくりしたのが
みんな同じ筆箱だったこと!!
今は違うのかな?最近の子はランドセルしかり結構カラフルですが、
当時、私の周りはこの2パターンしかなかったんです。アラサーくらいの方はわかるかな(笑)
男の子が黒で、
女の子が赤!!
見事にこの2種類でした。
私だけが雑貨屋さんで買ったタータンチェックの布のペンケースだったんです。
で、ある日活発そうな女の子が私に
「そういう筆箱じゃいけないんだよ」
って言いました。あれにはすんごくびっくりしたなぁ。
全然そういうルールはなかったし、たぶんその女の子も“みんなが同じ筆箱なのにミモザちゃんだけ違うというのはおかしい。だからいけないことなんだ”と思ってそう言ったのでしょう。
で、私がきっぱり「そんなことないよ!いいんだよこれで!」って言えばよかったんですけど、日頃から「あれ?私だけなんか違うかも?うちってちょっとおかしいのかな?」という思いも薄々あって、うまく言えなかったんですね。
みんなと同じじゃなきゃいけない、って案外こういう些細なことから生まれる気がするんです。
くだらないんですけど、子どもにとっては結構大きなことで。
自分を引っ込めちゃうきっかけになる。
そういえば、男の子のパンツがトランクスに変わるタイミングにも、そういうからかいみたいなのってあったなぁ。人それぞれなのにね。なんならブリーフでもいいのにね。
できるとバカにされる
持ち物もそうですが、能力や特技に関してもそうです。
本来素晴らしい才能を持っていたとしても、からかわれるが故に隠してしまう・下手な振りをしてしまう場合があります。
英語とかやたら発音がいい子って小中学生くらいだとバカにされることがある。下手すると高校生でもある。でも大学生になると途端に尊敬されるんですよね(笑)あれホントなんなんだろうw
でも本人にとっては全然笑い事じゃなくて、できない振りしてみんなに合わせてしまうことがあります。本当にもったいないことです。
大学生みたいなシュタイナーの生徒たち
シュタイナー学園の場合、そういうことが(多少あるかもしれないけど)ないんだろうなって見ていて思いました。
帰りのバスで、生徒さんが数人乗っていたんですが、一人はやや奇抜な髪型だったんです。でも、本人の雰囲気に合っててすごく素敵なんですよ。ファッション雑誌にスカウトできそうな。
でもこれって、普通の学校行ってたら陰で言われそうだな…って思いました。もしくは校則的にアウトになるかもしれません。仮に大学生だったらアリなんだろうな〜…とかしみじみ考えてしまいました。
他にも校内で生徒さんを何人か観察しましたが、一言でいうと大学生の雰囲気に近いと思いました。
なんとなく、小中高生の時って「みんな一緒」という感じで、大学生になって
学部だのサークルだのバイトだの一気に選択肢が増える感じがしませんか?
シュタイナーの学校では、小学生の時から選択肢がすごくある感じがするんです。
- 人がどんなファッションでも自分は自分
- 人が何をしようと自分は自分
- 人と違っている部分を「面白い」と感じる
- 人よりできることがどんなことでもを素直に「すごいね」と尊重できる
- 人がどんな進路を選ぼうと、羨んだりしないしとやかく言わない
こういうところがある気がします。
自分は自分。
もちろん思春期なりに人と比べたりする部分はあるとは思いますが、そこで不必要に周りに合わせたりはしない、というか。
それってすごく素敵なことだし、これからの時代に大切になってくることだろうと思います。
あぁ。もう1記事になりそうです…(笑)
次はシュタイナー教育について、私が若干引っかかるところを書きます。