mimoza note

八丈島に住む刺繍作家Mimoza SHOJIのブログ。

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私がブログを書く理由。辛い出来事を心から完了させる【グリーフ・ワーク】のすすめ。

最近、私の生育歴や小さな頃に感じたちょっとしたことを思い出しては書いています。

 

www.mimoz-art.com

 

私の場合、幼い頃から患っていたアトピーのことを、両親との問題と関連させて書いていますが、それを読んでくれている数人の友人たちが「思うところがある」とメールをくれました。

 

  • 「自分も両親とは仲良くやってきたけれど、ちょっとしたことが引っかかっている」
  • 「アトピーではないけれど、親との関係に思い当たるところがある」
  • 「自分もアトピーだった。似たような家庭環境だった」

 

そんなメッセージが多くありました。私は自分の整理のために書いていますが、皆さんが「自分の場合はどうだったかな?」と考えてみて、何か気付きがあれば嬉しいなと思います。

 

 

親や家庭の問題は口外しづらい

私もそうですが、親や家庭の問題ってなかなか人に言えません。プライバシーの問題もあるし、恥ずかしさもある。親しい友人にしか話せないことだったり、逆に親しいからこそ親のことは言えない場合もあるでしょう。だから、心の中にしまい込んでいて、ずっと心の中に居座り続ける。自分を含め、そんな印象を受けました。

 

 

私は今こうして書いていて、ひとつずつ氷が溶けていくような安堵感があります。自分の小さい頃の悲しみを思い出していく作業を、グリーフ・ワークといいます。私は最初からこれを意図してやっていたわけじゃなく、「なんとなくまだ解決してない気がするぞ」と思い、ブログに書いていったら思いの外スッキリした感じです。

 

今読んでいるこの本、

インナーマザーは支配する―侵入する「お母さん」は危ない

インナーマザーは支配する―侵入する「お母さん」は危ない

 

 

 p128にグリーフ・ワークことが書かれていて、それを読んで初めて「私のやっていることはグリーフ・ワークだ!」と気付いたのです。

 

 

 

グリーフ・ワークとは

グリーフ(grief)とは深い悲しみのこと。

深い悲しみを感じた出来事を、感じ切る・気のすむまで嘆くことで、その出来事に区切りをつける、終わりを告げる作業のことです。

 

失った子ども時代を気のすむまで嘆く一連の作業を「グリーフ・ワーク」と呼びます。

過去の事件を回想し、確認し、自分なりにストーリーとして物語ったり悲しみや怒りなどの情緒体験を改めて体験する作業です。

 

 

特に、悲しいことや辛いことが多かった人は、過去をあまり思い出したくないから、苦しかった過去にきちんとお別れしていない。

 

これは子ども時代だけの話ではありません。

震災による突然の別れ。大切な人の喪失。物の喪失。失恋。若さの喪失。引っ越しによる慣れた環境の喪失。親の死別、などなど。お葬式という儀式も、ある意味グリーフ・ワークのひとつです(死に向き合い、きちんとお別れをする)。

 

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(↑3歳ごろ。詳しくは私のアトピー歴をみてください。)

 

 

 

私の場合、「悲しい!」と思っても、楽しいことで誤魔化す・紛らわすといったようにあまり感じようとしてきませんでした。むしろ、「悲しい、苦しい、辛い」と思うこと自体を悪だと思ってきた節がある。辛いことを、一生懸命辛いと思わないようにする努力をしてきたところがあります(無理やりポジティブな理由付けをして自分を納得させたり)。

 

だから、辛い出来事を完了させていない。まだ自分の中でだらだらと続いてしまっている。それをきちんと終わらせる作業が、このブログにあるといってもいいでしょう。

 

 

 

グリーフ・ワークの方法

別にブログじゃなくてもいいんです。私の場合は、文章にするのが一番自分の中で整理しやすいですが(時間もかかるがw)、人に話したくない人もいると思います。

 

  • ひとりの部屋で涙を流す
  • 友人に悲しみを聞いてもらう
  • 同じような体験をした人の話を聞く
  • 自分の気持ちにぴったりの映画を観る、歌を聴く、小説を読む

 

など、いろいろな方法があります。どの方法をとったとしても、自分の気持ちが整理できたと実感できるかが大切かなと思います。

 

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こうしたグリーフ・ワークができていない場合、いろいろな問題が起こってきます。「私はもう子ども時代を喪失したのだ」ときちんと嘆いていないので、いつまでも子どもをやりたくなってしまう。

 

このような人々は、自分の子ども時代を回想し、「私の子ども時代」を一つのストーリーにします。それが悲しいストーリーであれ、自分の歴史の中に「子ども時代」としてしっかり位置付けてあげるのです。

 

今の私はなぜこうなっているのか。私が今このような生き方をしているのはどんな子ども時代によるものなのか。その流れを自分なりに意味付けて語れるようになれば、これからの自分を生きることが始められます。

 

 

いかがですか。あなたは何か思い出すことがありますか?