普段、あまりベストセラー小説は読まない。
自分でも偏屈だなぁと思うのだけど、「売れてるから読みたい」っていう動機がまずいやだ。ミーハーか!(笑)だからベストセラーとして紹介されまくればされまくっただけ遠ざけようとしてしまう。本当に面白いかもしれないし読んでから判断すればいいじゃん、って思うし、そうすることもあるけれど、そんな時間あるんだったら刺繍してたいし。
だから普段なら絶対自分では買うことはない、2016年本屋大賞、だけでなく2015年紀伊国屋ベスト30 第1位、2015年ブランチブックアワード大賞に輝いた、宮下奈都さんの『羊と鋼の森』。
父が読み終わったものが回ってきて、正直全然気が進まなかったけれど、最初の10ページくらいまでパラパラ読んで、読むことに決めた。最初の2〜3ページくらいだけだと「なんだ、学園モノか…」と思ってしまっていただろう。学園モノ=面白くない訳ではないけれど、もう年齢的に青春っぽい話は冷めてしまう。パラパラ読んでいると、最初の14ページ目くらいで学校生活は終わったのでホッとした(笑)
あらすじ
主人公は調律師になりたての青年。田舎の小さなピアノ店で、先輩調律師の仕事ぶりを見ながら成長していく姿が描かれている。
大きな事件は起こらないけど、ハッとする表現が紛れ込んでいる
ネタバレしたら台無し、というような大きな事件や出来事はこのストーリーにはない。でも、ところどころに「良い文章だな」と思う表現がいくつもあって、その文章に線を引いておきたいくらいハッとする(実際、今そうしてるw)。
例えば、主人公の青年と先輩の調律師との会話。
「なるべく具体的なものの名前を知っていて、細部を思い浮かべることができるっていうのは、案外重要なことなんだ」
「やわらかい音にしてほしいって言われたときも、疑わなきゃいけない。どのやわらかさを想像しているのか。できるだけ具体的にどんな音がほしいのか、イメージをよく確かめたほうがいい」
水から8分の半熟卵なのか、11分のそれなのか。あるいは春の風のやわらかさか、カケスの羽のやわらかさか。
これはいろんなことに当てはまると思う。ピアノの調律に限らず、楽器の演奏にしてもそう。特にオーケストラや吹奏楽のように合奏する場合はなおさら、意志の疎通が必要。
また、小説を読むにしても評論文を読むにしても、普段のコミュニケーションにしても、一人一人イメージしてるものは違うから、どこまでイメージを近づけられるかっていうのはとても重要だと思う。
ベテラン調律師が目指す音について語るシーン
主人公の青年(外村)が、憧れている調律師の先輩(板鳥さん)に「どんな音を目指していますか」と聞くシーンでは、戦時中の小説家・原民喜の言葉を引用して、
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、厳しく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
こういう音を理想としている、と。引用だけどまさにぴったりだなと思います。
日々コツコツと
調律師の日常の話なので大きな事件は起きず、日々淡々とコツコツ、でもたまにグンと成長させるような出来事があったり、考えさせられる会話があったり。そういうのに最近飢えてたのかもしれません。
最近ちょっと、「成功する方法」だとか「スルっとうまくいく」とかそういう話が多い気がする。もちろんそれって嬉しいことだし可能性の幅がグンっと広がる素敵なことかもしれないけど、私はそればっかじゃなくてもいいかな、と思う。
ベテラン調律師の板鳥さんがこう言っている。
「この仕事に正しいかどうかという基準はありません。正しいという言葉には気をつけたほうがいい」
「ホームランを狙ってはダメなんです」
確かにホームランは華々しい。でもそれだけが皆の目指すものではないと思う。
正しい、という言葉も実は使われる機会がほとんどないような不確かな言葉かもしれない。なんだか教育にも重なる点があるように感じました。
読む前は「読んだらさっさと売っちゃおう」と思ってたんですがね(笑)しばらくは手元に置いておきたい本になりました。
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