普段テレビを観ないので、星野源さんが動いたりしゃべったりしている姿を観たことがない。もちろん『逃げ恥』は観ていないし、恋ダンスとやらもわからない。ただ、どうやらドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』に星野源とガッキーが出演し、恋ダンスという名称のダンスが可愛くて、高視聴率だったっぽいことは知っている(インスタで主婦の方が騒いでたからね)。
ラジオでやたら星野源さんの曲が流れてたことがあったから、多分声は知っているのだと思う。けど、ラジオはいつもなんとなく聞いているというか流しているに近いので、「この声が星野源さんね」と識別できるほどではない。高いのか低いのかわからない。
だから特別ファンというわけではなかったのだけど、何かの折に星野源さんが通った学校がちょっと変わっているという記事を読んで、それ以来ずっと気になっていました。
今探したけど、この記事です▼
- アンチ序列教育
- 構内でタバコ黙認
- 無断遅刻や無断欠席がまかり通っている
- 表現教育に重きを置いている
実態がどうなのか見に行ってないからわからないけど、面白いな〜って思って。
まぁタバコはちょっとどうなんだろうとは思うけど、止めたところでいっそう執着しちゃうこともあるし、別にいいのかなとも思う。私は興味あります。
理念は普通に賛同できる。
自由の森学園は、点数によって能力を相対的に評価する「点数序列主義」に迎合せず、一人ひとりをかけがえのない「個」として育む教育を目指して設立された学校です。
競争心を刺激する教育法は、たしかに手っ取り早く人間をふるい立たせる力を持っている。しかし、その反面、目標を他人におくために自分自身を見失うという欠陥をもっている。(『競争原理を超えて』遠山啓)
こういう学校が、実際具体的に評価とか指導とかどうやってるのかはすごく気になる。し、参考・勉強したいなぁと思っている。
話飛ぶけど…あら、食堂メニューもいいじゃない。
添加物の入った素材は使用しない。出汁も料理にあった素材でしっかり手間をかけてとる。調味料も必要な手間をかけてつくる。米は自家精米して、うどんもパンも自家製―。
マジでか。添加物とか精製されまくった食べ物が、人間の心の浮き沈みや落ち着きのなさなんかを生み出してるって話もあるから、こういうとこ大事にしてるのも頷ける。
選択講座も多いらしい。
本学園には、総講座数は100講座を超える、多岐に渡る分野の選択講座があります。各教科のピンポイント分野を学ぶものから、製本や染色といった技術を学ぶもの、専門家の指導による演劇講座、中国舞踊など。
学園名で検索すると、見学に行った人の超批判的な文章とかも出てきたりするんだけど、それを読んだ上でもなかなか面白い学校だと思います。
さて、そんなわけで普段買わないようなものを買ってしまいました。
星野源さんのエッセイ。
エッセイなんて普段全然買わないんですが、こういう学校に通ってた人の感性が知りたくて、珍しく買いました。文庫で軽かったし電車で読みましたよ。
周りに合わせるか、自分でいるか
私は出産後から(アトピー治したり、退職したりの頃)かなり自分の生き方を見直しているのですが、今この人の感覚がすごくわかるなぁと思います。簡単にいうとちょっと似てるとこがある(なんて書いたら世の中の女子たちから反発されそうだなw)。人から「変わってる」と言われることがやや多いところが似てると思うんです。
ただ、周りに「変わってるね」と言われたことに対しての向き合い方が違ってて、私は全力でそれを隠したり周りに合わせることを選びました。星野さんはそのまま、独自の世界を変えずにきたんじゃないかなぁと思う。でも我の強い感じはしないので、どちらかというと地味に自分の性質を維持してきた印象を受けました。
例えば、小学生の時、私はめちゃめちゃ鳥にハマってたわけですが、周囲に誰も鳥好きはいなかった。むしろ「鳥嫌い。足が気持ち悪い」とか言う子もいたから、鳥の話題はご法度なんだと思って、中学以降封印しちゃったんです。だから結婚するまで誰とも鳥の話はしなかった。心の中で「あ、ジョウビタキのメスがいる…」とか一人野鳥観察をしてました。奇しくも夫が鳥好きだったのでまた喋れるようになったのですが。
他にも、手芸が好きだったことも長年封印してました。今でこそハンドメイドとか一般的な趣味になってきたし明るいイメージもあると思うんですが、ちょっと前まで手芸って根暗っぽいと言うか、おばあちゃんっぽい印象もすごくありました。だから恥ずかしかった時期があった。特に高校〜大学生あたりって活発な方がモテると言うかウケが良い気がして、手芸が好きだったことを自分で忘れちゃうくらい封印してました。子どもが生まれてそのことを思い出せたので、本当に私は子ども様様なわけです。
あとカラオケとかも無理して行ってたなぁ。全然好きじゃないくせに。複数人でいて、一人断って空気乱すの嫌だったし、それにカラオケは大衆が好きなものだから、好きじゃない自分がおかしいと思って、一生懸命慣れさせようとしました。私声低いから歌いにくいんですよ。そもそも流行にも疎いから歌詞全然知らないし。
ひとりはつづく
最後の章 <ひとりはつづく> が特にね。よくわかる。これは私に限らず、皆さんあるんじゃないかなぁと思うのだけど。
例えば、大ヒットした映画作品の話(p172)で、
当時、私はその出ている俳優たちの芝居の感じに、少し戸惑っていたのである。
別にシリアスな話でもないのに、出演者たちは真剣に、常に目を充血させプルプルと震えながら演技している。(中略)感情移入するどころか、あまりに迫真すぎて逆に演じている役者の地が見えてしまい、観ていてなんだか気が散ってしまう。
しかし、この作品に触れた人はみな心の底から感動しているようである。
公の場でこの作品を少しでも悪く批評しようものなら、その人は「こんな感動的な作品を否定するなんてなんたる鬼畜」と袋叩きにあっていただろう。そうはなりたくない という空気が当時少なからずあった。
みんなが「めっちゃいいよ!!」と言ってるものに対して、「え、そう?」って思うことってすごくあるのだけど(みんなはないのかな?)。
パッと思いつくところで言うとディズニーね。
私は正直、動きが大袈裟というか、セリフやストーリーも綺麗にまとまりすぎててなんとなく冷めて観てしまう。それは大人になった今もかなり言い出しにくい。好きな人は本当に好きだしね。ちなみに娘も好きそうなので下手に否定できないし、今日銀行で娘用にディズニープリンセスの絵本を貸してくれて一緒に読んだのだけど、「あれ?いい話じゃん」と思う自分もいた(笑)案外食わず嫌いなのかもしれないし、ディズニー主人公のような素直さが私には欠けているのかも。えぇ、これからはアリエルのように生きますとも。
私の話は置いといて。特に得るものはないんですが面白かったです(笑)いや、エッセイだから実用書的な得るものはないんだけど、でも私にはあったのかもな。面白い学校のこと。お母さんのこと(<子育てはつづく>も面白いよ!)。生活を面白がること。いつも自分のことをうーんと考えてるので、ほかの人の生き方も知らないとね。星野源さん、普通に一人暮らしの男性で面白いよ。