数週間、捨てるか迷っていたものを捨てました。
夏目漱石の『こころ』
高校2年生の授業で使うために買ったものです。
高校生ならほぼ通る道、ですよね。
私の通ってた(自称)進学校では、小説は重視されてなくて、ほぼ「自分で読んで、問題解くセンスも勝手につけてね」というスタンス。
だから、『こころ』は夏休みの課題で「読んで感想提出してね」で終わり。マンモス校だったから、内容はどうでもよくて、きっと提出したら○、みたいな評価方法だったんだろう。
当然私も、宿題は形だけこなすものだったから、全然読んでもいない(笑)
どうやって宿題やったんかな?
Wikipediaとかで要約読んで、当たり障りないこと書いたんだと思う。
だから、本当にちゃんと読んだのは、実は高校教師になってからなのでした。
いざ教員になってしまうと、どっぷりハマった(笑)
本当に一節一節が巧妙で、新聞連載ってこういう風に書くのね。そりゃ毎回楽しめるわ、とか考えたり。
この文が解釈のヒントになるじゃん!っていう文に線を引いていたのだけど、1ページにすら数ヵ所あるのね。
線って引きすぎるとどれが大切かわからないよね(笑)でも、引かざるを得ないんだもの…!
授業する立場だから、っていう責任感からもすごく一生懸命読んだ。
一文一文、漏れのないほどに。
それくらい何度も読み込んだし、今後長くなるであろう教員生活で、きっと何度も読むんだろうな…という感慨もあって、文庫本といえど大切にしていた。
が、教員辞めたっていうね。
1回きりだったわ(笑)
別に必ず『こころ』をやらなきゃいけないわけじゃないし、高校生が面白いと思うかはまた話が別かもしれないんだけど、
仮に何らかの形で教員に戻ったとしても、『こころ』は読みたいなと思う。
それで、みんなで解釈したい。
「ああじゃない?」「えーちがうんじゃない~!」とか言い合いたい(笑)
けど、解釈までいくには、それなりに読み込んでてほしいしなぁ。どの節も削れないくらい、そこかしこに要素が散りばめられてると思うんだけど…
あ、話戻すと
そんだけ思い入れのあった本を捨てました。
教員だったら、取り扱う度に読んで、ライン引きまくって、前回はこんなこと考えたな…とか思いながら読んで、新たな気付きがあって…っていうのをイメージしてたんですが、
たぶんもう戻らないだろう。
教科書で『こころ』を扱う学校には。
それに、前に引いてたライン見て思ったけど、いかに自分がくだらないところに線引いてたか。
いかにくだらないテスト問題を作ってたか。
そういうのが見えてしまって、
万が一また『こころ』で授業するにしても、新しいの買って一から線を引き直そうって思いました。
新米教師だったから自信なくて、教科書ガイドとか見てテスト問題作ってたのね。
改めて思うけど、『それ聞いて何がしたいの!?』って思う問いばかりだわ。。
あと、明治期特有の漢字の読みとかもどぉっっっっでもいいよね。ふりがなふってあるわ、そんなん。
これからもしやるとしたら、
最初にビデオとかマンガであらすじは頭に入れてもらって、あとの授業は全部グループでの話し合い、にするかな。
その話し合いが進むような【問い】は考えなきゃいけないけど、解釈の部分に触れる問いにしておきたい。
難しすぎず、けど単純すぎず。
現実から離れすぎず身近で。
意見は少しわれるような。
そういう問いだけ投げかけて、オープンエンド(答えがでない)でもいいと思う。
むしろ小説は安易に答えも出さない方がいいんじゃないかな。
授業作りしてる時、ネットで『先生は同性愛者』という解釈で読んでるブログを見つけて読んでたんだけど、それはそれですごく面白かった!根拠も挙げててめちゃくちゃ明快!
そういう解釈をする子や人がいていいと思う(でもそれを許すと、選択問題が作りにくくなる)。
自分が楽しめたり共感できる小説って絶対あるし、それがみんな同じなわけない。
私は『こころ』をすごく楽しめたけど、それは大人になったからっていうのもあるだろう。
そういえば、普段まったく授業聞かないで、休み時間もずっとスマホ見てる男の子が、『こころ』の授業の時だけはすごい聞いた。5分前に教室に着くと、毎回必ず『こころ』を一人で読んでてちょっとびっくり。
そういうこともあるんだなぁ(『こころ』が終わった途端、また睡眠授業に戻ったけどw)。
とにかく。
もう私に必要なくなった物なので、処分いたしました。
また会う日まで。